Rei'n forcement

声優・松嵜麗さんのファンサークルのブログです。

ジュエルペットサンシャイン #9

普通は幻獣類は人間界ではご法度だけど、そんな簡単な世界観じゃないと思う。

http://d.hatena.ne.jp/melbee/20110531/1306830720

という期待通りの展開になってくれてとても嬉しかった。

別に普通に馴染む、というパターンもあるとは思ってたけど、「認知されてるけど、ものめずらしい」というのは考えていた直球すぎて。


本編はルビーと花音が御影君のうちへ遊びに行くと御影君が家業のことで少し悩んでいたっていうお話。

ふむふむ、さりげなく花音が本当にお嬢様であることを置いていったりなかなかソツの無いシナリオ運びですよね。

「夢をみつけよう!」って公式に書いてあったけど、やっぱりそこが主軸には据えてあるんですね。

1話から「進路どうしよう」って言ってたし。


しかしルビーが御影君を好きになる過程はかなり丁寧に描かれているけど、花音は今後過去は描かれるんでしょうか?

御影君がジュエルランドに留学しにきた理由は割と分かりやすかったけれど、花音が来た理由はちょっと今のところ分からないし。

何より実家が結局明かされなかったからなぁ。意外と裏があるんじゃないかしら。


世間がサンシャインを「カオスギャグアニメ」として楽しんでいる間に私は真正面から生真面目読解を頑張りますよ!

いやもちろんギャグアニメとしても楽しんでるし、むしろそうであることが読解においても重要だなぁと思っているんですが。


ちらほらと書き進めていますが、やっぱりこのお話は「夢」と「個人の多様性」の話なんだと思うんですよね。

すげーベタ読み案としては、人間界っていうのは要するに日本で*1、ジュエルランドっていうのはアメリカだと思う。

日本よりはいろんな人種やいろんなバックグラウンドを持った人が同じクラスに集まっていて、授業そのもののクオリティはさておいても「そこで生活する」こと自体が大きな経験になるような場所。

「ガイジン」が日本において物珍しい存在だけど、立ち入りを禁じられたりするものではない、というのも妙にシンクロするし。


文脈的には。

てぃんくる☆において批評できるポイントって別にいっぱいあるしそれがてぃんくる☆を貶めることにはならないと思うけど。

たぶんサンシャインが視界に入れてるのは「ジュエルペットがパートナーにゾッコン」っていう関係性のやり直しだと思う。

「パートナーの幸せがペットの幸せ」っていうのは、まぁちょっと気持ち悪いポイントではある。

「夢」について語っておいて、人間たちは自分達のオリジナルな夢を見つけ出しても、ペットがパートナーに依存している状態だとやっぱりちょっとねぇ…っていう構造になっちゃいますからね。


サンシャインにおいてはそれが「お互いに人格を認め合うお友達」として規定されてる。

それってぶっちゃけ「ペット」という言葉の否定になっちゃってるとは思うけど。

オリジナルな夢、を語るためには多様性をすごく強力に肯定してあげないといけない、というのは理にかなってる。


そう考えたときに。

サンシャイン学園に人間・ペット以外の連中がこれでもかと投入されていること。

異種間の恋愛に何のタブーも無いこと。*2

男子が華道をやることにジェンダー的な留保が存在しないこと。

そういう形で、現実には存在する「多様性に対する壁」が綺麗に排除されてる。

それはもちろん「カオスギャグ」の下地としても機能しているけど、それをお子様に向かって当然のように照射した場合の「洗脳」効果は結構バカにはできないと思います。


やっぱり出色は「サンクスジュエルデー」のエピソードで。

ある属性による差別を痛烈に批判しているわけですが、どちらか一方を悪者にしないという妙な着地の仕方をしているわけです。

チターナやイルカ先生を「ダメダメな奴」として描写しつつ、彼らはサンクスジュエルデーに反旗を翻した結果、本エピソードでは最終的に「一番しあわせ」になっているというのも興味深い。

こういう風に、「因果応報」とかそういう寓意に簡単に落とし込める類型の話でありながら単なる「事例」の域を出ないように調整するためのエッセンスとして、「ギャグ」が大きな役割を果たしてると思うのですよ。


と、盛大に過大評価してみたりするわけで。

サンシャイン。面白いです。

*1:何故日本人しか留学生がいないのか?

*2:チャロットのエピソードはものすごくヘンテコな形で同性愛を肯定していると曲解することもできる?